「こおろぎ」が届きました<その2>

(2006年03月30日)

ころおぎ幸せな人生

子ども達が挑戦しなくなる一つの理由に、「結果主義」があると私は思っています。
結果で評価され、結果が出なければそれまでの努力が認められないような環境で育てられると、人は「結果主義」に陥り、次のような傾向が現れます。

1.結果が全てなので、結果が出そうなことにしか挑戦しなくなり、期待する結果が出そうもないことには挑戦しなくなる。
2.挑戦した結果、手に入るものが自分の欲しいものでなければ挑戦しなくなる。
3.欲しい結果を手にするためなら手段を選ばなくなる。

しかし、人生は本当に「結果がすべて」なのでしょうか?
もし結果がすべてだとしたら、生まれてからずっと不満の中で暮らし、死ぬ前の日に宝くじに当った人の人生は、結果として幸せになったのですから、「幸せな人生」ということになります。
しかし、これは「幸せな一瞬」とは言えても、決して「幸せな人生」とは言えないと思います。「幸せな人生」とは一日、一日と「幸せな日」を積み重ねた日々の全体をいうと思うのです。

こう考えると、「いつかの幸せ」のために今日を我慢して生きる人は、幸せになれないことになります。もし期待した結果が得られなければ、それまでの日々を後悔することになるかもしれません。それでは本当にもったいないと私は思うのです。

昔の日本の言葉に「努力すなわち幸福」という言葉がありますが、この言葉の意味は、「努力した結果、夢が叶ったら幸せ」と言っているのではなく、「夢をかなえるために努力している今が幸せである」と言っていると思うのです。

「こおろぎ(156号)」で、「今年、サロマ100㎞ウルトラマラソンに挑戦する」と発表しましたが、私が完走出来る確立は100に1つもないと思います。しかし、だからこそ挑戦する甲斐があり、面白いと思うのです。
完走するという目的のために、少し時間を作っては練習し、完走できる生活を工夫します。それでも完走できたら感動して涙するでしょうし、たとえ完走できなかったとしても、一生忘れない悔し涙を流すと思うのです。

何の努力もいらないことをして、こうした感動を得られるでしょうか?
力の弱い小象の足に鎖をつけて杭に縛り付けると、大きくなってすでに鎖を切るだけの力がついても、象はその鎖の範囲から出ようとしなくなるそうです。私は子どもだけではなく、そうした大人がたくさんいる気がしてなりません。

世の中には「世の中がもっとやさしくなったらいい」と願っている人がたくさんいると思います。しかし、そのほとんどの人は「自分には力がない」「自分が頑張ってもどうにもならない」と考えてあきらめていると思うのです。たとえ、私達が生きているうちに実現できなかったとしても、やさしい世の中にしたいという思いは残りますし、充実した人生は遺ると思うのです。

簡単に出来ないことだからこそ、やり甲斐があり、やる意味があるのではないでしょうか?

私の好きな句に「おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり(そのような生きかたが出来るかどうかは本人の心がけ次第である。)」という句がありますが、一度きりの人生を充実した面白いものにするか、つまらないものにするかは、その人の生き方一つのように思います。

杉井保之氏 こおろぎ より

努力する人にはチャンスが与えられ、努力しない人にはチャンスは与えられません。
人に喜ばれる生き方が幸せに生きやすくなり、人に喜ばれない(人に不快を与える)生き方をすると幸せに生きにくくなる。
現実(事実)を知って前向きな行動をしよう。
どう、自分の人生を面白くするか?
どう、自分の仕事を面白くするか?
結末は、自分で体験するしかありません。
失敗は問題ではなく、失敗を経験しないことが問題。
成り立たないことは、成り立たなくて良い。
たまには、出来そうもないことにチャレンジする
【自分の人生何に使うか?】

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