社長ブログ

【こおろぎ】が届きました

(2008年12月11日)

こおろぎ馬渕一將君の生き方

「不完全なあなたへ」(文芸社)でも紹介した馬渕一將君が、ガンのため11月13日に亡くなられました。

 彼は身長が高く、バスケットの選手でしたが、高校二年生のときに無免許運転の車にはねられて、身体に大きな障害を負いました。それから10年間、手術とリハビリを繰り返しましたが、機能は回復せず、就職も出来ないでいました。
 
 そんなときにお母さんの紹介で、私のところに相談に来たのでした。

 私は彼に「本当に残念だけれど、私は医者ではないので君の身体を治してあげることは出来ません。でも、幸せになることを応援することはできると思うから、その身体のままで幸せに向かって努力してみよう。準備が整ってから幸せになろうとしていたら、一生、幸せになれないかもしれないよ」と声を掛け、彼は障害を負った身体のまま、就職活動を開始したのでした。

 自分には何の責任がなくても、障害を負ってしまうと正社員になることがとても難しいのが現実です。彼は何社からも入社を断られた後に、やっとパートとして雇ってくれる会社を見つけたのでした。

 就職先が決まって喜んでいたのもつかの間、しばらくすると彼から「会社を辞めようと思う」という電話が入りました。「せっかく苦労して見つけた会社なのに、どうして?」と尋ねると、「障害があるため仕事が遅く、職場のみんなに迷惑をかけるから」という回答でした。

 私は「身体が動かなくて仕事が遅いことは分かっていたことでしょう。他の会社に行っても速くはならないのだから、何か工夫をしてみよう。これからが本当の就職だよ」と話し、始業時間の一時間以上前に出勤することにしたのでした。彼は早く出勤して、自分の分だけではなく、他の人の仕事の準備もするようにしたのでした。そうした努力が認められて、彼は念願の正社員になったのです。

 彼のこうした取り組みは、会社の雰囲気を変え、それまでだったら「誰かこの仕事をやってくれないか?」と上司が言っても、「何で私が?」といった態度だった人達が、「私がやりましょうか?」と変わっていったそうです。

 優秀になることしか幸せになる方法を忘れてしまった人が多い気がしますが、彼は仕事が速くなって必要とされる人になったのではなく、ひたむきな生き方で必要とされる人になっていったのでした。

 彼が正社員に内定したときに送ってくれた葉書がこちらです。

 杉井さん、やったよ!ついに正社員に内定しました。入社する時に頑張れば正社員になれると言われましたが、その時はあまりに漠然としていて、どうやって頑張っていいか全然わかりませんでした。

 そこで思いついたのは、「とにかく皆よりも早く会社に行こう」ということでした。最初のうちは早く行ってもテレビを見ているだけでしたが、そのうちに仕事が忙しくなってきて、せっかく早く来ているのだから仕事を始めることにしました。
 そうしていると次長から「フォークリフトの免許を取らないか?」と言われ、フォークリフトの免許を取ることができました。おかげでますます忙しくなり、朝が早くなりましたが、入社する時「頑張れば」と言われた言葉を信じてあきらめずに実行し続けた結果、正社員になれたのです。
 自分を「よくやった」とほめてあげたいと思います。

一万羽の折り鶴

 正社員に内定した翌年、彼は「努力して正社員になれたので、もう一つの夢であるマラソンに挑戦しようと思います」と書かれた年賀状を送ってくれました。

 私は、「馬渕くんが走るのなら、私も一緒に走ろう」と決めて、走り始めたのでした。このことが私がトライアスロンで国体に出たり、100kmマラソンを走るきっかけとなったのです。

 彼が出場を決めた桜マラソンは、草薙競技場から日本平という桜の花咲く山を登る過酷なコースです。健常者の私でさえ歩いてしまう坂を、彼は足を引きずりながら上り、転ばないように、ブレーキをかけながら下らなくてはならなかったのです。

 参加者が多かったためゴールするまで馬渕君とは会えず、ゴールしてから帰ってくるランナーの中に馬渕君の姿を捜しました。しかし、彼の姿はなかなか見当たりません。「やはり無理だったのかな?」と思っていたそのときに彼は競技場に戻ってきたのです。

 私は彼に駆け寄り、彼と一緒にトラックを一周したのですが、「よくこの身体で帰ってきたものだ」と走りながら涙が出てきました。もし私だったら、挑戦もしませんし、参加しても絶対に途中で棄権していたと思います。

 桜マラソンに出てゴールした時、自分ではよく分かりませんでした。杉井さんが駆け寄ってきて初めて我に返り、とうとうやったんだという思いで一杯でした。

 私が、最初に「走ってみたい」と思った頃には歩くこともままならず、「もうダメではないか」と何度もあきらめかけましたが、そのたびに自分を奮起させてくれたのは「このままでは終わりたくない」という思いでした。

 自分としては、ダッシュでゴールを駆け抜けたかったのですが、もうそんな体力は残っていませんでした。でもゴールした後、杉井さんと離れて一人で上を向いたままワンワン泣きました。これまでの思いがこみ上げてきたのです。

 私は今、どんな困難に陥ろうとも、努力している限り、たいていのことは出来てしまうと思っています。桜マラソンが、それを教えてくれた気がするのです。一緒に走ってくれてありがとうございました。

 彼のガンは10万人に一人の悪性のガンで、治療の方法はなく、五年後の生存率は5%とのことでしたが、彼は宣告後も特別なことをするわけでもなく、毎日、朝早く会社に行き、体調が良いときには家の近くをジョギングして過ごしていました。脳にガンが転移して目が見えなくなったときには、家に帰るなりお父さんにしがみついて「もうダメかもしれない」と号泣したそうですが、それ以降は一言も「痛い」と弱音を吐かずに、面倒をみてくれるお母さんに、「もう、こんなことしか出来ないけど」と手を合わせていたそうです。

 人は、寝たきりで、目も見えなくなったときに何を求めるのでしょう?私達は人生で一番大切なものよりも、大切ではないものを追い求めて、限りある人生を費やしているのかもしれないと、彼を見て思いました。

 彼を励ますために折り鶴をお願いしたところ、たった三日間で一万羽もの鶴が集まりました。容態の急変で生きているうちに届けることは出来ませんでしたが、葬儀の席で彼に届けることが出来ました。折ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 43年と短かったけれども、一万羽の折り鶴と列席者の涙が、豊かだった彼の人生を物語っていると思いました。

杉井保之氏「こおろぎ」より

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