エルトゥールル号が生んだ絆のフライト -みやざき中央新聞より-

(2014年09月18日)

◆ 今日はいいお話を ◆

 1890年、日本にやってきたトルコ軍艦のエルトゥールル号は、その帰りに和歌山沖で嵐に遭い、座礁してしまいます。

浸水により水蒸気爆発が起きた船は沈没し、死者・行方不明者は500人を超える大惨事となりました。

 事故の発生を最初に知ったのは、紀伊大島(現在の串本町)の村の人たちです。

男たちは荒れ狂う海に飛び込み、生存者を見つけては自分たちよりはるかに体の大きいトルコ人を背負って断崖を登りました。それを待ち構えていた女たちは手厚く看護しました。こうして69人が救助されたのです。

 大島村はもともと半農半漁の貧しい村でしたが、この年は台風が続いたので漁に出られず、その日の食べるものにも事欠くようなありさまでした。

 それでも、村人たちは彼らに対して浴衣や布団を提供し、わずかに残っていた卵やサツマイモ、非常食用に取っていた米や鶏を提供して、必死の介抱を続けました。また、事故で亡くなった人たちの遺体も丁寧に弔いました。

 その後、助けられた人たちは無事にトルコへ帰国し、この時の一部始終を多くの人々に伝えました。

 それから95年経った1985年、イラン・イラク戦争が勃発しました。イラクのフセイン大統領は「今から48時間後、イラン上空を飛ぶ全ての飛行機を攻撃対象とする」と、全世界に向けて発表しました。それは、民間機でさえも撃ち落とすという宣言で、当事のイランには200人以上の日本人がいました。

 しかし、イランへの定期便を持たない日本の航空会社は現地に入れません。また、当時は自衛隊が海外で活動できるという法律がなかったため、自衛隊機も救出に向かうことができませんでした。

 その時です。日本の窮状を知ったトルコの首相が、「我が国が日本人のために飛行機を出そう」と、トルコ航空に連絡を入れたのです。

 「誰かテヘランに飛んで日本人を助けてくれないか?」

 この呼びかけに対し、その場に居合わせたパイロット全員が「自分が行きます」と手を挙げたといいます。

 タイムリミットが迫りくる中、空襲警報が鳴り響くテヘランの地に、2機のトルコ航空機が降り立ちました。そして、215人の日本人を乗せると、トルコ首都イスタンブールへ再び飛び立ったのです。

 国境を越え、イランからトルコの領空に入った時、機長のアナウンスが流れました。

「Welcome to Turkey, Ladies and Gentlemen (紳士淑女の皆さん、トルコへようこそ)」

 この瞬間、乗客の日本人たちとトルコ航空の客室乗務員は手と手を取って涙しました。イラン上空を飛ぶ間、撃ち落とされるかもしれない不安で、生きた心地がしなかったのでしょう。

 この時、乗客の日本人が、「なぜトルコ航空が助けに来てくれたのか」と聞くと、トルコの人たちは皆「エルトゥールル号の恩返しです」とだけ伝えたそうです。

「みやざき中央新聞」より

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